日本にも広がる貧富の差を考える

最終更新日 2024年11月21日 by llabos

1,「貧困」という言葉がだんだんと世の中に広まる

昭和の時代、日本人は一億総中流意識を持っていたと言われています。
これは一般的な日本人家庭が、「自分の家は欲しいものが何でも手に入るほどお金持ちではないけれど、かと言って食べ物に困ったり我慢ばかりの貧乏生活をしている訳じゃない。」と認識していたということですよね。

もちろん、その時代にもとんでもないお金持ちは存在していましたが、「ウチはウチ、ヨソはヨソ」ということでみんな納得していたように思われます。

でも、時代の移り変わりとともに「貧困」という言葉がだんだんと世の中に広まってきたのです。
それまでは、貧困などというと、日本とは関係のない遠い国の話だと思っていたのに、今や日本の貧困率は右肩上がりに上昇し、何と7人にひとりの子供が貧困家庭に育っているというのです。

けれどもその一方で、幼稚園ぐらいから夏休みは必ず家族で海外旅行に出掛ける家庭があるし、新築のマンションが建設されれば、若い世代のカップルが買う気満々で見学に来たりしています。

要するにこれって、とっくの昔に「中流」という言葉は死語になり、圧倒的に貧富の差が広がり始めたということを示しているということではないでしょうか。

2,日本の教育制度と人々の同調意識が関与している

では、なぜこのような貧富の差が生まれるのか。
それは、日本の教育制度と人々の同調意識というものが手を貸しているとは言えないでしょうか。

今や、大学進学率は6割近くに上り、大学に進学するだけではどうにもならず「出来るだけ良い大学」に進学することが目標とされています。
そのために「貧富」の「富」の方の家庭は、子供が小さい時から塾や家庭教師をつけ、少しでも良い私立の学校に入れようと躍起になります。

そして「貧」の方の家庭はというと、当然のことながら塾などに通わせる余裕はなく、そんなことよりもどうやって毎日子供を食べさせて行くか、ということの方がずっと重要課題となっている訳です。

この時点で既に教育の差が生まれ、それが学力の差になって行きますよね。
そしてそれが、そのまま貧富の差に繋がってしまうことが多いのではないでしょうか。

もちろん、裕福ではない家庭に育っても優秀な子供はいます。
でも、教育を身に付けさせる金銭的な余裕がある家に比べたら、そのパ-センテ-ジは低いと言わざるを得ないのが事実ですよね。

3,良い大学を出ないと良い会社に就職出来ない

じゃあ、何でそんなにみんな大学に行かせようとするのでしょうか。
それは、良い大学を出ないと良い会社に就職出来ない、という観念があるからに他なりません。

中にはFランと揶揄される大学から一流企業に入る学生もいますが、やはりその数は微々たるものです。

だったら、いっそのこと大学に行かなければいいじゃない、という話もありますが、そこは「みんなが行くから行かないと出遅れる」みたいな同調圧力に悩まされ、大体企業の入社試験を受ける資格が「大卒」である場合も多く、大学を出なければスタ-トラインにすら立てないみたいな風潮さえありますよね。

さらに先進国の中でこんなに大学進学費用が高いのは、日本とアメリカぐらいではないでしょうか。
これがもし、ヨ-ロッパのように学費は無料か格安、入学の間口は広く出口は狭いというようにしたら、貧しい家庭の子供でも大きなチャンスが掴めるのではないでしょうか。

4,子供が一斉に同じスタ-トラインに立てるような環境が必要

これらの国の学生は、卒業が大変難しくドロップアウトすることもめずらしくはありません。
それに、大学進学率がそこまで高くはないので大学に行かない選択も大いにアリなのです。

少なくとも大学進学はあくまでも学生個人の問題であり、親の経済力とはあまり関係がないというのが本当のところでしょう。
結局のところ日本では、貧困の連鎖を断ち切る手段のひとつである教育にかけるお金がない親が、子供の学歴に影響を与え、その結果が貧富の差の増大を生んでいるように思われます。

子供が一斉に同じスタ-トラインに立てるような環境が、この貧富の差を縮めるための解決策に繋がるのではないでしょうか。